***2018年7月9日の日記を更新し2019年に公開しました。
今日は主人の誕生日です。また今年も何もしてあげられませんでした。
退院したとはいえ、制限のある日々が続いています。
でも、先月来(2018年6月)、ある女性と数日過ごす機会があり、楽しい毎日を送ることができました。
今までずっと私が看護する方だったのに
今は毎日が世話をされる側となってしまった私。
ご飯の支度も片付けもできません。当然ながら本業(飲食業)はお休みのままです(困った)。
いや、身体が麻痺しているのではないので全くできないというわけではなく、時間をかけ慎重に行えばなんとかなるのですが、失調の出方が厄介で危険なのです。
怪我する危険がある事、何かを落として料理をだめにしたり物を壊してしまう事から、家事の殆どを主人がやってくれています。

主人のほうが料理好き
失調については、入院時の回想記が書けたら詳しく書こうと思います。
とにかく厄介です。
リハビリとして、洗い物を指の硬直が少ない時にゆっくりとするくらいにはなったけれど。
埒が明かないのとしくじった時の後始末を考えると、やっぱり健康な方に負担がかかってしまうんですね。
悪いなと思うけれど、主人が病んでいる側の時は自分も彼をあてにしないほうが安心できたことが多かったので、今は委ねることにも慣れてきました。
でもやはり申し訳ないのと、自分の不甲斐なさに心が沈んでしまうんです。
SOHちゃんがMintを連れてきた
そんな6月のある日、主人の参加しているLOOSE END というバンドのSOHちゃんが、女の子を連れていさわやにやって来ました。
*↓LOOSE ENDのFacebookページを紹介

*↓いさわやのFacebookページを紹介
海外から遊びに来たというその女性が、滞在期間の日中、私のサポートをしてくれました。
名前はミンといいます。
会ったばかりのミンとはすぐに仲良しになりました。
彼女は日本人ではないのですが、以前日本で仕事をしていたことがあり、日常会話なら日本語も上手に話せます。
犬も猫も大好きなので、我が家に居ることに不自由はありません。
でもそれがすばやく打ち解けあえた理由ではありませんでした。
日本人でもそう簡単にはわかりあえませんもの。

SOH&Mintから主人への今年のお誕生日プレゼント・いつもありがとう
思いやると甘えるを考えてみる
ミンとすぐに打ち解けあえた理由を書く前に、年配者の「思いやる」「甘える」について少し話したいと思います。
いつも明るい人の思いやり
主人は私に対して毒舌です。
7つも年下ですが、教育に近いダメ出しを言うので、受け取り方によってはモラハラに近いかもw。
でもなぜかイヤミに聞こえません。
言っておきますが、私は「S」ではないですw。
それは主人に対する敬意から来るのもあるけれど、きっとなりより言い方が面白く愛のあるダメ出しだからだと思うのです。
突然別人みたいになってしまっている私を、蔑むこともなく、かと言って憐れみすぎることもなく、時にそれをギャグにしながら面倒を見てくれます。
それを私は思いやりと感じています。(本人そうでもないかもですがw)
甘え上手な人の思いやり
三年近く前に、富士川で出会ったリバという猫を、今回(2018年)の里親探しのさなかに失ってしまいました。
ずっと準備していた「かわねこリバー」のお話を始める前に天国に逝ってしまったのです。
*落ち着いたらそのことも「かわねこのお話」に詳しく書こうと思っています。

リバのことも忘れない
なにより、彼女は主人に甘える時は照れるほどに愛くるしかった。
私もリバのような甘え方を見習いたいと思うのですが、なかなか難しい。
できたとしてもお笑いにしかなりません。
ここで伝えたい「甘え上手」とは、揶揄されてしまうような狙ったような感覚ではなく、自然な気持ちでお互いに幸福感が生まれるような甘え方。
邪念と煩悩としがらみを溜め込んできた中年には、素直で自然な振る舞いってやっぱり難しいのです。
親しいからこそ「思いやり」のある「甘え」を:私編
「思いやり」というものは親しくなっていくにつれ、空気みたいに当たり前なものになっていきます。
自然なことです。
相手に対してそのことが理解されていようがいまいが、変わらなく持っていられる人が本当の「思いやりがある人」なのでしょうが、人間なかなかそうは行きません。
特に夫婦なんて元は「他人同士」だと言うのに、時間も空間も共有することが最も多い間柄(でないといけないと思う)。
時を重ねるに連れ、「思いやり」を受ける側はだんだんありがたみを欠いてしまい、そのせいか与える側の回数は希薄になって行くのではないでしょうか。
自然なことです。
2回言いましたが、「自然なこと」はそのままでいい場合とそうでもない場合が…工夫しないと不自然な関係に発展してしまう、なんてことも。
動物って侮れないという考えを持っている私は、もしかしたらリバちゃんは「甘えてなごませるのも思いやり」という高度なことを理解してたんじゃないか?と思うこともしばしば。
そこまで到達できていない自分には、彼女のような甘え方ができません。

相思相愛
それにどんなに偉そうに言っても、今の私には「思いやり」を持てたとしても、相手に積極的に何かしてあげることができないのです。
そこで今出来ることの最低限の3つ、
- 「思いやり」を感じたら「ありがとう」という言葉を素直に言う。
- 「思いやり」のある手助けの提案をされたら「お願いします」と素直に甘える。
- 失敗しても意地を張らずすぐに「ごめんなさい」と言う
(「思いやり」から叱ることを我慢することのないようにする)
これらを心がけることにしました。毎回できるのか自信ないけど心得ておかないと。
これは父の介護期間にわかってきたことでもあります。
夫婦間に限らず、老後の親子間などにも有効かもしれません。
ミンとの出会いで思い出せた「素直って素晴らしい」という当たり前のこと
ではミンのお話に。
ミンは特別若い女性というのではないですが、健気さや素直さをいっぱい持っていて、それが自然に伝わってきます。
当然細かい部分の言葉が不足しているのですが、逆に伝えたい気持ちが強くなるのでしょうね。笑顔いっぱいに心から感謝の気持ちを伝えてくれます。
そう、ミンは微笑みの国タイの女性です。

Mintとお散歩
手を合わせてコップンカー
すぐに教わったタイ語は、やはり「ありがとう」で、音としてはコップンカーと聞こえましたが、表記するなら
コープクンカー ขอบคุณค่ะ(kʰɔ̀ɔp kʰun kʰâ)
となるようです。
これは女性がありがとうを言う時の表現方法で、男性はまた少し違う言い方だそうです。
この事も含めタイ語については、ミンに教わったらまた書くことになるでしょう。
「手を合わせて」とくれば「ナマステ」が思い浮かぶでしょうが、タイもまた仏教の国なのですね。
しかし地理や歴史・宗教や国の慣習などに詳しくない私が深掘りしたら火傷するので、この件はこの辺りで。
マイペンライというステキな精神
私達がすぐに覚えたのは、「ありがとう」とか「ごめんね」や「食べられる?」「大丈夫?」といった言葉への応答にあたる「マイペンライ」という言葉でした。
タイ語で「問題ない」「気にしないで」「大丈夫」というような意味になるのは
マイペンラーイ ไม่เป็นไร
最後を「ラーイ」と伸ばすことで感情表現がされるようです。
(これはNETで調べました)
日本語もそうですが、文字に書く同じ「大丈夫です」でも、話し方や文脈、シチュエーションでニュアンスが大きく変わります。
ここでは本当に「大丈夫だから気にしないでね」「ぜーんぜん問題なし」といった状況に限って表現します。
英語で言うところの
【ノープロブレム:no problem】【マイプレジャー:My pleasure】【シュァ:Sure】
なんかの差みたいなことを含め、マイペンライという、おおらかで包容力のある精神(少し悪く言ってしまうと気楽な精神)がタイ人にはあるようです。
そこがどうやら私達のツボに入ったようで、特に主人はしばらくタイ人化していましたw。
ミンと過ごした数日間は、私達夫婦にとってとても楽しく思い出深いものとなりました。
まとめてみる
話が右往左往してきたのでまとめましょう(自分)。
ひょんな事からミンという女性と関わることになったのですが、
いや、ひょんな事ではないかな?必然かもしれません。
一緒にいるとこちらの気持ちが洗われて行くのを驚くほどに感じさせてくれるのです。
私もこうありたいなと思わせてくれる。
よく言われる「昔は日本人が多く持っていた心」云々の表現に近くなっていきそうですが、私は今の日本人だってそう捨てたものでもないと思っています。
それに時代の傾向以外にも、人それぞれで違いますし、同じ人でも年齢に応じて気持ちや心がけが変わってきます。
だから、いつからでも、今からでも、何回でも「素直に行動する」のはステキと思いたい。
そんな出会をくれたSOHちゃんにも感謝し、かわいいミンにもコップンンカー:ขอบคุณค่ะ なのです。
また会えるときを楽しみに、幸せになれるよう応援したいと思います。

ひとまずのお別れ会はたこ焼きパーティー
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