東京2020オリ・パラ延期に便乗
随分とここの日記を飛ばしまくった。
前回の記事が「2018年8月の記事を2019年6月に更新」という、超絶放置である。
でも懲りずに戻ってくるというしつこさで、WEBまでも断舎離できない私は、本日とうとう還暦を迎えてしまったのよ。
いや、4月辺りから「東京2020オリ・パラ延期になったことだし、私の還暦も延期して良いんじゃないかと思ってるけどどうかしら?」と勝手に提案し、主人とバッハ会長に許可されたので延期延期!
しばらく50代で居させて下さい、後生だからさ。。
孔子のコトバ「耳順」と今の自分
十五にして勉強は二の次、
三十にして立ったり座ったり、
四十にして惑いっぱなし、
五十にして天命に気づくことなく、ここまで来た私。
そして今日はというと、六十にして「なにぃ、ろくじゅっさいだとぉ!!」と耳を疑ったふりをしてみた。
だけど時間は勝手に経過するんで、いくら念じても逆らえない。
しょうがないから、どんな風にこの六十代を過ごすべきかと、昔の偉い人のコトバ「六十にして耳順う」を少しだけ深く調べてみる。
六十歳にして耳順うとは、修行がますます進み、聞くところ理屈に合えば、何の障害もなく理解し、他人の言葉を自然に受け入れることができるようになったことを意味します。
出典:ミニ講話 孔子の人生観
うーん、自分にできるのかな?まさしく修行のような人生だから、多少は昔より受け入れられるようにはなったと思うけれど、まだまだだ。
そしたらこんな事を言っている方がいた。
孔子は74歳で亡くなっているので、昔の人としてはかなり長寿だったことになる。だから、
孔子の時代の寿命を現代に換算すると「六十にして立ち、八十にして惑わず、百にして天命を知る」となる
と言っている。
なるほど、では都合よく自分にあてはめて「六十にして立ち」のところを「六十にして人生再構築」ということにしてみよう!
ごく普通の今日の過ごし方
ここで今日の私を振り返ってみよう
。
午前中は、A-1スポーツプラザというところのプールでリハビリ。
せっかく還暦なんだからと、赤のジャージを着て行った。
主人のMODSのジャージだけど、もはや私の物みたくなって10数年。
還暦おばはんが着たら逮捕モノだろ!という主人のセリフは聞かないふり。
プールではスタッフや利用者さんに温かいお祝いの言葉をいただき、家では写真を撮ってもらう。
今日は頑張って目を見開いているけれど、右目の「眼瞼下垂(がんけんかすい)」とやらがひどくて油断している顔は、自分でも見たくないくらい左右の目の開き方に差がある。

コロナ対策エチケットのマスクって便利よね。
昼に戻ると、主人がいつの間にかお寿司を用意していて、ささやかながらお祝いしてくれた。

出来合いだけど嬉しいね・スープは主人作よ
それから、なんちゃってバースデーケーキ。

後ろの本は「レトリーバー」
割引されたチョコレートケーキ。因みに「チョコレートケーキ」が大好きなのは主人の方で、私が好きなのは後ろにオマケのように置かれたハムチーズパン。
ロウソクはかなりサバを読んでいるが気にしないように。
更に後ろの「シニアレト(リバー)万歳!」という図ったかのような老犬特集の「RETRIEVER(レトリーバー)」が置いてあるじゃない(^.^)
外出自粛なので、これで十分うれしかった。ありがとう!
自分に言い聞かせるための1年間のToDo備忘録
ここの日記の停滞具合を解消するため、具体的な目標を「有言」して「実行」せざるを得なくしてみよう。
直近のこの日記更新目標(徐々に)
お題だけは毎月のように準備していて、下書きしてある記事もチラホラあるのね。
アップできない原因としては、画像の下準備をする時間が足りなすぎるのが大きい。
とにかく目がやられてるのと、入院・通院・リハビリに時間が費やされて余裕がなかった。
もう少しすれば時間ができ、体や気持ちの余裕も出てくる気がしてきたので、自分のために大まかなお題を箇条書きしておく。
- 入院回想記
- 私の病気の症状
- この病気の前触れと過去の事故の話
当面は過去2年の 下書き→公開 に持っていって挽回予定。
振り返ることになるけれど、これからのことを書くための前哨戦でもあるから達成しなくちゃいけない。
2~3ヶ月程度先から開始の目標
- 我が家のラブたちと、新しい事業のこと
- ショップ公開
- スタッフ募集・トリマー募集
これだけじゃなく書ききれないことがいっぱい(・・;)
半年程度先から開始の目標
- 旦那さんの音楽のこと
- そしてやっぱり「つる。の音楽のこと!」
え?自分のやりたいことはって?そうねぇ
「世界を平和に!」\(^o^)/
かな?…………………………………照れる(*^_^*)(*^_^*)
あのね、何度か死に損なったりすると、こんな私でもそんな心境になるのよ。
何度か死に損なうってどういうことかはまた今度ね。
前に言ってみた「還暦に披露宴」も延期宣言

けれど、入院とまだまだ続くであろう通院とリハビリ、それとなんと言ってもこの新型コロナ禍で、いろんなことがせき止められている。
冗談じゃなく、あらゆる事を延期でもしないとならない状況。
そうそう、外出自粛で子供の頃の写真をあげるのがWEBで流行ってて、私は取り込む(そのくらい古いのさ!)のが大変なので、さっきのロウソクでサバ読んだお詫びに45~6歳ころの写真をPCからほじくり出してアップだ。

14~5年前の私ラタンの営業時間は暗くて助かってたわぁ
いつもスッピンだったので「人前ではそろそろなんとかしなくちゃいけない歳だろ、マナーとして」って同世代の男性から窘められたし、このおさげ頭を若い娘に「その歳だと変な人だって思われますよ」って言われたこともあったっけ。
ええ、ええ、そうです、私が変なおばさんです!
…目はよく見ると。この頃からすでに左右差出てたのね、はぁ~…その事もまた今度。
自分の幸福は人のためになったという達成感
還暦になっても続いている私の果てしないけもの道はいつになったら終わるのやら。
でも、主人と家族の犬や猫たちと一緒だと、なんだかんだと乗り越えられている。しかも不思議とこの試練すら楽しいのはなぜだろう?
きっと「自分の大切な者たちのための苦労は苦じゃない」のはこういう感覚だろう。
子供がいない私は、老いぼれてからやっと具体的に解ったようだ。
こう見えて自分はどちらかと言うと、誰かのためになにか出来たときに幸せな気持ちになれる方のようで、
それって一見受け身で損なタイプに思われがちだけれど、実は楽でそれこそ幸せなことなのかも知れない。
相手にありがたがれて、自分も達成感や幸福感が得られるんだから。
今は家族や近しい人にしかそれが出来そうにないけれど、
もっと広い範囲にそれができる力を持てれば、
「世界を平和に!」\(^o^)/
って照れずに言えるようになれるかも!
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