「キッスは目にして」のコニーさんが横にいらしたのにね・・

今日は音楽制作会社に在籍する従姉弟のことなんかも書こう。
生前、弟は彼ともっと「仕事」という側面で交流しても良かったのにね。TOM(従姉弟)も一時期そう言っていた。

愛すべき傍若無人

しかし、弟には「切磋琢磨」なんて似合わなかったし、最後まで「傍若無人」なやつだったw。
そういった弟みたいな輩は本人そのものが「ART」であって、誰かが付いていなくちゃ「Artist」としては生きていけない。そんな「誰か」という仕事をしているのがTOMなんだ。

以下はTOMのFacebookのシェア記事。ビーイングという会社にいるので、UNISEXにも縁があった「B’z」とも関わりがあることから埋め込んでみた。

家から新富士駅はバイパス使うと意外に近い

11月の主人の九州でのドラムのお仕事のあと、22日に原宿でのイベントのフロントアクトが予定されていた。
そんな折も折、私が東京時代に大変お世話になった叔母様が急逝され、万事を繰り合わせて通夜に行くことになった。突然の訃報に驚きと悲しみ、そして色んな思い出が頭を駆け巡り、行動も駆け巡ることとなった。

主人より後発の私は、まばたきをする間もなく一連のことを済まさなければならなかった。
先ずは留守番(というより置き去り?)させる犬猫たちのご飯と犬部屋(ロフト)の準備。
次に一緒に新幹線に乗る姉を職場に迎えに行き、自宅に寄って犬に早めの夕飯を秒殺で与えたのだが、タイミング良く(悪く?)父が入院している病院から入電。
無視すれば携帯にかかってくるのは解っていたが、まさか父まで逝かれたのか!?と電話に出るも対応を即座にしなくてはいけない話でもなかった。
バタバタと走りながら会話したが若干のロスタイム。

新富士駅までの道もそこそこ混んでいたため、駐車場に着いた時には乗車予定の新幹線の発車時刻まで5分を切っていた。
「おねーちゃん、走るよ!」と駐車前から覚悟を促し、アラシスの女二人は持てる力を振り絞って走った。
おそらく形相も走り方も無様だったろうが、ここを抑えないと通夜には間に合わないからね。
改札は「車内で精算するので入場券売ってください」は利かないことがわかり、またまたロスタイム。きっとキセルなんかの防止だろう。

なんとか滑り込み乗車できたが、車内で姉に立替えてもらった切符代を精算しながら、まだ呼吸が収まらないアラシス姉妹はシートに全身を任せて座りこみ、しばらく呆然としていた。

どんどん変わるといつまでも変わらないが折り重なる東京

車窓から「都会感」が目に入ってきたあたりから少しパワーが取り戻せたのか、かしましアラシス女らしくおしゃべりを始める。
程なく乗換駅の品川に着き、甥と姪と合流。
そこから山手線、小田急線を乗り継いで祖師ヶ谷大蔵に着いたのは家を出てから4時間弱の午後6時半を回っていた。

東京へは大抵車を使うので、久々に乗った小田急線に驚く。各駅停車の駅までも高架駅に変身していて見違えるようになっていた。
祖師ヶ谷大蔵もそれに漏れず、もはやどこから降りればよいのかもわからなかったが、商店街の所々には、40年近く前の昔の記憶のままの店も僅かに残っていて少し安心した。

その先は以下のポカポカ.コムの記事と若干かぶるので割愛しちゃうからまだ読んでない方はどうぞ。
🔗エンタメ業界に関わる一族!?-その壱

円谷プロ一色の祖師谷商店街

通夜の帰り道、商店街の垂れ幕や駅前のオブジェにも目を向ける余裕ができた。

この商店街のこぼれ話もポカポカに少しあるし、木梨サイクルの前も通ったが当時の祖師谷大蔵のエピソードはまた次回としよう。

祖師ヶ谷大蔵駅前ウルトラマン増

 

今でも若者の街原宿だから夜が早い。なのに人はいつまでも一杯。

ウルトラマン写真を撮るのもソコソコに、私は姉家族と別れ主人の居る原宿に向かった。
華やいだ街は異国の世界だったが、それを形成する個々は果たして全て華やいでいるのか?などと考えていたのは東京に住んでいた昔のことで、もはや田舎のおばちゃんにはとにかく目的地にたどり着くことで精一杯だった。

主人が携帯で誘導してくれた。「青野っていう看板」を目指せという指示が、いつの間にか「青の(青い色の)看板」となっていた。
悪いことに目的地の近くに巨大な真っ青のカラオケBOXの看板があって、そればかりが目に止まる。
キョロキョロしている私の携帯から「後ろ向け!」という声。振り向くと真後ろに巨大な「青野美沙稀」と書かれた看板がそびえていた。

もうステージが終わっていて打ち上げ会場の竹下通りのBARに向かう。
キミスタのみんなと一緒にいたので気持ちは楽だったが、なんとなく場違いなお通夜帰りのおばさんは、主人と同じウーロン茶を頂き「打ち上げ」というより「一服」でもしているようだった。
しかも私の隣の美穂ねえ(といっても私より歳下)を挟んでその隣に「ヴィーナス」のVo.のコギーさんが居たというのに、少しもお話できなかった。

ヴィーナスといえば昭和の方は「キッスは目にして」でご存知かと思う。
私が店にカラオケを置いて居た頃のオハコのうちの一曲だった。
当時は化粧品のタイアップから若い層、ザ・ピーナッツの「情熱の恋」をご存知の中年の層が相まって、HITした曲だ。なんたって作曲はベートベン(エリーゼのために)だからね。

以下は「キッスは目にして」YouTub動画

コニーさんははつらつとした素敵な方だった。やっぱり人前で活躍してきた方は違う。

エンタメ業界の夢と現実の折り合いは「好き」

書き出せば話がどんどん広がってしまうのでこのあたりでまとめると、ポカポカ.コムでも業界ぽさを書いてしまっているが、それだけをネタにするほど私は若くない。

エンタメって実は、本当に支えている人たちは今でも礼儀が重視の縦社会だったり、好きじゃなきゃ続けられないブラック企業もお呼びでないような仕事環境だと思う。(待機時間ってのが多いので誤解のないようにね)

エンタメ業界ってリスキーだから居続けるには才能以上の覚悟が居るのではないかと思うし、裏で支えている人は、時には「嫌われ役」も請け負うであろう。
でもその分、夢がいっぱいあるし自分にしかできない「何か」によって成果が出れば、達成感は半端ないはず。

今回は特に勇気をもらった東京の旅だった。

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