弟の分の父の余生

しばらく明かせないでいたが、実は父の容態が去年の暮れから思わしくなかった。
12月のクリスマスの夜、父の入所先施設からの連絡で、救急医療センターで受診、そのまま中央病院に回り、入院の手続きが済んで家に戻ったのは深夜を大きく回っていた。
奇しくも私たちの結婚記念日だった。

その後、暮れのあわただしさや主人の万全ではない体調、四本足家族のこと…正直この先が見えなくなってきていた。
今までだって何度もそれに近い状況だったが、今回はいよいよ父の命が終わるのかもしれない覚悟の時がせまっていたし、いつ終わっても仕方がない年齢でもあった。
今年の1月に、父は米寿を迎えていた。

入退院3回

大切な一人息子を失い、葬儀の途中で救急搬送され何とか一命をとりとめたものの、半身不随となり徐々に己の意思を伝える手段を失っていった6年間の父の心模様は、いったいどんなものだったろうか。

自宅介護中にある方が教えてくれた「頭はボケても心はボケない」という言葉を胸に、ずっと父と向き合ってきた。
その言葉通り、入院の度、私たちに触れ合うことが増える度ごとに回復する父。
しかし体の機能はそれ以上に衰えているため、誤嚥性肺炎で3月までに3回も入退院を繰り返した。

中央ホスピタルは悲しい思い出ばかり

2年まえに胃瘻の手術をしそれから経管栄養でここまで生きてこられたのだが、そもそもその時点で延命治療といえる。昔であったらとっくに寿命を全うしているところだ。
しかし親族の気持ちはそうではなく、目の前の父は生きて私達の言葉に反応するのだ。

6年前のあの日、火葬場で柴田のお母様が父の様子を見て「おとうさん、まずいよ、主人(医師)に紹介状を書いてもらって中央病院に行かせなさい」とおっしゃって救急車を呼んでくれた。
あの判断がなかったら、今ここに父はいない。だれもが弟の葬儀のことでいっぱいだっだあの時、感謝してもしきれない出来事だった。

そんな父だから寿命がどうのではなく、弟の余生をもらってでも生きながらえてほしい、生きられるだけ生きてほしいと思う。
好きなだけ生きて、最期は安らかに終わってほしい。

3月の末に、4年近くお世話になった施設を退所し、4月に入って療養型の病院に転院が決まった。
ここ数か月は父のことで毎日が目まぐるしかったが、これで安心でき、相変わらずの手続きの煩雑さにも慣れたのか、先に回ってあれこれ準備もできた。

今回も主人には本当に世話をかけた。
さて、いよいよ棚上げ事に本腰をいれなければ!

つる。とかめ。のこと
HINA-GOをフォローする
Sponsored link
この記事が気に入ったら
いいね!しよう
最新情報をお届けします。
あーぶの森

コメント

トップへ戻る
タイトルとURLをコピーしました